一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
25歳以前のひきこもりの人は、過去の出来事から来る嫌な感情から緊張や不安が強くなり、外に出て、これ以上傷つくと自分が壊れてしまうのではないかと思い。他人と接することや社会参加することに躊躇する。
しかし、ひきこもりも長期化し、30代になると、ひきこもり生活に慣れてしまい、欲求や葛藤も起こらなくなり、その生活そのものが自分の日常性と思え、なにか、他のことをやることが面倒くさくなるようである。
生活費は、この何十年間、何とかなってきた、これから先も何とかなるに決まっている。たとえ、両親が亡くなっても、何がしらの財産は残してくれるだろうと思い、今までの生活続ける。
生活費や働くこと等、考えていたら、気儘な自由な生活を失うから、それらのことは極力考えないようにする現実逃避生活がさらに加速化していく。
彼らは無言ではあるが、時には怒号と暴力によって「生きる権利は最大限尊重しろ!」と要求するが、義務は最大限負わないようにする、術を彼らは、長年の生活やネットからの情報で知ってしまった。
同時に責任を逃れるために、他罰的言動(責任を自分で負わず、他の者に擦り付ける)を吐くことを覚えてしまった。
これらの知識は極貧生活を送る民にはないし、野性を生き抜く動物にもない。また、権利と義務を明確に、具体的に、個人個人に要求する欧米社会では、あまり見られない。
成熟社会に入り、権利と義務が曖昧であり、物事の本質を考えず長いものに巻かれろ、という哲学とは言えない哲学で生きてきた日本人の社会に現れた。
学校の詰め込み教育もこれらを加速させた。
曖昧模糊(あいまいもこ)の生活習慣が若者の「怠惰習慣」を生みだした原点でもある。
学校教育も家庭教育も原点から見直し、人として生きる考える力を付けるように方向転換しないと、わが民族も絶滅危惧種になるかもしれない。
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